東京地方裁判所 平成6年(ワ)5726号 判決 1998年12月14日
主文
一 被告は、原告甲野一郎に対し九四四五万四八四九円、原告甲野太郎、原告甲野花子に対し各二二〇万円及びこれらに対する平成六年四月一四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、被告の負担とする。
四 第一項は仮に執行することができる。
理由
【事実及び理由】
第一 事案の概要
本件は、原告甲野花子(以下、「原告花子」という。)が双生児を懐妊し、被告の開設する日本赤十字社医療センターにおいて診療を受け、出産したところ、一児は出生前に死亡しており、一児は重度の脳障害を負って生まれたため、当該生存児である原告甲野一郎(以下、「原告一郎」という。)及びその両親である原告花子及び原告甲野太郎(以下、「原告太郎」という。)が、被告に対し、右生存児の脳障害は、被告が一児の死亡を早期に発見し、かつ、発見後直ちに生存児を娩出させる義務を怠ったことなどに起因するものであると主張して、診療契約上の債務不履行ないし不法行為に基づき損害賠償の請求をしている事案である。
被告は、担当医師の債務不履行ないし不法行為(過失)を否認し、一児の死亡及び原告一郎の脳障害の原因は不明であるなどと主張している。
第二 原告らの請求
被告は、原告甲野一郎に対し一億〇八〇〇万円、原告甲野太郎、原告甲野花子に対し各一一〇〇万円及び右各金員に対する平成六年四月一四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第三 当事者の主張
一 請求の原因
1 当事者
原告太郎は、原告一郎の父、原告花子は、原告一郎の母である。
被告は、日本赤十字社法により法人格を有するもので、その業務の一つとして、日本赤十字社医療センター(以下、「被告病院」という。)を設置している。
2 診療契約の締結
原告花子と原告太郎は、平成四年(以下、特に留保しない限り「平成四年」のことであるから、その記載を省略する。)二月六日、被告との間で、原告花子の妊娠経過を診察し、分娩にあたっては細心の注意をもって安全に出産させ、母子の生命身体を守ることを内容とする診療契約を締結した。
3 原告一郎の出産経過
(一) 原告花子は、二月六日、被告病院産婦人科を受診したところ、妊娠していて、出産予定日は九月三〇日であると診断され、以後定期的に被告病院産婦人科の石井康夫医師(以下、「石井医師」という。)の診察を受けていた。
妊娠一六週の四月一六日の検診で、原告花子の妊娠は双胎妊娠であることが判明した。
原告花子は、当初は月一、二回の頻度で石井医師の診察を受けていたが、妊娠二七週を過ぎた七月以降は万全を期して毎週一回診察を受けていた。
石井医師は、妊娠中期以降はほぼ毎回超音波ドップラー法(胎児の生存を確認する方法として妊婦の腹壁に探触子を密着させ、聴覚的に児心音を確認する方法。以下、「ドップラー」という。)又は超音波断層法(妊娠中胎児の生存を確認する方法として、超音波断層画像により、視覚的に子宮内の胎児像、心拍を確認する方法)による検査を行い、胎児の成育状況を確認していた。
七月の超音波断層法による検査の結果、原告花子が画面を見て一児の動きが少ないので、心配で石井医師に尋ねたところ、石井医師は、「一児は活発に動いているが、もう一児も生きているから心配ない。双胎は一般に早産の危険があるので、あなたの場合も状況によっては早期に入院することも考えられる。」と述べた。
八月二七日の検診では、ドップラーにより二児の成育が確認された。
(二) 原告花子は、九月三日には妊娠三六週に入っていたので、助産婦による双胎用分娩監視装置を用いたノンストレステスト(妊娠末期でまだ陣痛のない時に行う胎児心拍数のモニタリングであり、通常約四〇分間胎児の児心拍を記録し、胎児の健康状態を推測する検査である。胎動もしくは何らかの刺激により一過性頻脈が二〇分間に二回以上出現する波形をリアクティブパターンといい、胎児は健在であると推測される。これに対し、一過性頻脈が散発的か全く出現しないものをノンリアクティブパターンといい、胎児が未熟か、潜在胎児仮死であると推測される。以下、「NST」という。)を受けたが、胎児の心拍を示すグラフは、二児の心拍の波形が重なっており、二児の健在を示す波形が十分とれていなかった。
原告花子は、右グラフを持って石井医師の診察を受けたところ、石井医師は、原告花子に対し、右グラフを見せながら、二児の心拍が重なっており、十分二児の心拍がとれなかったが、「まあ、大丈夫でしょう」という趣旨の説明をして、一週間後の来診を指示し、診察を終えた。
石井医師は、この時、超音波断層法による検査も、ドップラーによる児心音の確認もしなかった。
(三) 原告花子は、石井医師の指示のとおり、九月一〇日に受診した。原告花子は、この時も診察に先立ちNSTを受けたが、石井医師はこのグラフを見て、二児の心拍が重なり一児の波形しか出ていない旨述べた。
そして、石井医師が超音波断層法による検査をしたところ、一児は既に死亡しており(以下、死亡していた一児を「本件死亡児」という。)、他の一児も心音が弱くなっていることが判明した。
そのため、原告花子は、急拠、同日午後、沼口正英医師(以下、「沼口医師」という。)の執刀により、腹式帝王切開術により出産した。
本件死亡児は、肌の色が赤黒色となっており、死後相当期間が経過していた。
(四) 原告一郎は、出生時から脳に障害があり、四肢体幹機能障害、知的障害、言語機能障害があり、現在は身体障害程度等級一級の認定を受けている。
4 原告一郎の脳障害の原因
本件死亡児は、九月三日頃、双胎間輸血症候群(双生児の胎児に発生する症状で、胎盤内の血管吻合により、一方の胎児が供血側、他方が受血側となり、供血側の胎児は発育不良、貧血、羊水過小症となり、受血側の胎児は、多血症で羊水過多症となる。)の発生により死亡した。
そして、原告一郎は、本件死亡児から、血栓や塞栓、胎児組織トロンボプラスチン様物質が転移してきたことが原因で、九月一〇日頃胎児仮死に陥り、脳障害を負うに至った可能性が高い。
5 石井医師の注意義務違反
一卵性双生児の場合は、受精卵が絨毛膜(胎児側胎盤の主要部をなす、絨毛を備えた胎膜)分化前に分割した場合は二絨毛膜性双胎(双生児が個別の絨毛膜で包まれている。)となるが、その後に分割した場合は一絨毛膜性双胎(双生児が一枚の絨毛膜で包まれている。)となり、形成される胎盤は一つになる。一絨毛膜性双胎の場合は、胎盤に血管吻合を有することが多いため、双胎間輸血症候群の発生等に注意を要するとされている。
双胎妊娠は、単胎の場合と比較して母体・胎児ともにトラブルが生じやすいが、特に一絨毛膜性双胎の場合は、胎児死亡や双胎間輸血症候群等の早期発見のため、妊娠後期には超音波断層法検査やNSTによる胎児心拍モニタリングを頻回行わなければならない。
石井医師は、原告花子の妊娠初期に超音波断層法により胎盤の状態を精査し、一絨毛膜性双胎であることを確認し、仮に確定できなかったとしても、一絨毛膜性双胎の可能性を考慮に入れて、単胎や二絨毛膜性双胎の場合に比して、原告花子の胎児管理につき、以下のような格別の注意を払うべきであったのに、これをすべて怠った。
(一) 一般に、双胎の場合、妊娠三六週を超えたら妊婦を入院させるべきであるといわれており、石井医師は、妊娠後期である八月二七日(妊娠三五週)ないし九月三日(妊娠三六週)頃には、原告花子を被告病院へ入院させ、頻回のNSTや超音波検査により胎児の状態を継続観察して、早期に胎児の異常を察知するよう努めるべき注意義務があった。
とくに本件においては、九月三日のNSTにおいて二児の心拍が確認できなかったのであるから、石井医師は、同日ないしその直後に原告花子を入院させ、二児の成育を管理すべき注意義務があった。しかるに、石井医師は、妊娠後期に至ってもそのような措置を執ることを怠った。
(二) 石井医師は、八月二七日ないし九月三日頃には原告花子を被告病院へ入院させ、原告花子の胎児が在胎週数上早産未熟児として母体外で生育できるに至った時点で、帝王切開術等により胎児の娩出を図り、もって胎児の胎力死亡を回避すべき注意義務があるのに、これを怠った。
(三) 九月三日に原告花子に対して行ったNSTによっては、二児の心拍が十分とれなかったのであるから、石井医師としては、さらに二児の健在または異常が確認できるまでNSTを続けるか、最も確実な胎児の生死の診断方法である超音波断層法を行うことにより、胎児の異常を察知するべき注意義務があったのに、これを怠った。
6 結果回避可能性
妊娠中、双生児の一児が胎内で死亡した場合、生存児を速やかに娩出すれば、死亡児を原因とする生存児の脳障害等の発生を回避又は軽減しうる可能性が高い。
したがって、石井医師が、右注意義務を果たしていれば、本件死亡児の異常ないし死亡を確認できていたのであるから、原告一郎の脳障害の発生を回避又は軽減しうる可能性が高かった。
7 被告の責任
被告は、原告花子及び原告太郎との間で、二月六日、被告が原告花子の妊娠経過を診察し、分娩にあたっては細心の注意をもって安全に出産させ、母子の生命・身体を守るという事務を誠実に処理することを目的とする診療契約を締結し、被告は右債務を誠実に履行すべき契約上の義務があるところ、石井医師は、右契約の被告の履行補助者として、原告花子の診察等を行ったから、被告は、債務不履行に基づいて、原告らに生じた損害を賠償する責任がある。
また、石井医師は、被告の被用者であり、被告の業務の執行として、妊婦である原告花子の診察等を行ったものであるところ、石井医師には、その診察等にあたって、原告らに対する右注意義務違反の過失があったから、被告は、民法七〇九条、七一五条に基づいて、原告らに生じた損害を賠償する責任がある。
8 損害
(一) 原告一郎の損害 合計一億六二〇二万九六四三円
(1) 逸失利益 九六六五万四六四三円
原告一郎は、身体障害程度等級一級の身体障害者であり、労働能力喪失率は一〇〇パーセントで、終生労働することは不可能である。原告一郎は、本件訴訟提起時において三歳であるが、本来なら一八歳から六七歳まで四九年間就労して、男性労働者の平均賃金を下回らない収入を得ることが可能であったと考えられるから、平成六年度の賃金センサスを基準に新ホフマン方式により中間利息を控除して逸失利益を算出すると、次のとおりとなる。
五五七万二八〇〇円×一七・三四四(二八・三二五-一〇・九八一)=九六六五万四六四三円
(2) 介護費用 二七三七万五〇〇〇円
原告一郎は、重い脳障害のため、生涯に亘り常時介護者の介助を必要とする。介護者の費用として少なくとも一日五〇〇〇円を要するので、原告一郎の平均余命七六歳のうち六〇年間の介護費用を、新ホフマン方式により中間利息を控除して算出すると次のとおりとなる。
五〇〇〇円×三六五日×六〇年間×〇・二五=二七三七万五〇〇〇円
(3) 慰謝料 三〇〇〇万円
原告一郎は、出生時からの重い脳障害のため生涯にわたり全介助を必要とする状態にあり、通常の人間としての生きる喜び等を味わうことは不可能である。この精神的損害は三〇〇〇万円を下らない。
(4) 弁護士費用 八〇〇万円
(二) 原告太郎、原告花子の損害 各合計一一〇〇万円
(1) 慰謝料 各一〇〇〇万円
原告太郎、原告花子は、第一子である原告一郎が出生時から重い障害を持つに至ったことに計り知れない衝撃を受けている。また、原告花子は、原告一郎の出生から今日まで、その世話や検査・リハビリのための通院に明け暮れる毎日である。このような原告らの悲しみと苦労は、各一〇〇〇万円を下るものではない。
(2) 弁護士費用 各一〇〇万円
8 よって、原告らは被告に対し、債務不履行又は使用者責任に基づく損害賠償として、原告一郎に対し一億六二〇二万九六四三円の内金一億〇八〇〇万円、原告太郎、原告花子に対し各一一〇〇万円及びこれらに対する訴状送達の翌日である平成六年四月一四日から各支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
二 請求の原因に対する認否
1 1項は認める。
2 3項について
(一) (一)のうち、原告花子が当初月一、二回、七月以降は毎週受診していたという点は否認する。原告花子の受診は、当初月一回であり、七月に入ってからも二週に一回であった。
また、七月の超音波断層法による検査の際、原告花子が画面を見て一児の動きが少ないので心配で石井医師に尋ね、石井医師が「一児は活発に動いているが、もう一児も生きているから心配ない。双胎は一般に早産の危険があるので、あなたの場合も状況によっては早期に入院することも考えられる。」と述べた点も否認する。
その余は認める。
(二) (二)のうち、NSTで二児の心拍が十分とれていなかったとの点、石井医師が原告花子にグラフを見せながら説明したとの点とその説明内容及び石井医師がドップラーによる児心音の確認をしなかったとの点を否認し、その余は認める。
同日のNSTにおいては、初めの約一五分間は二児の良好な心拍パターンがモニターされたが、その後、一児の心拍がモニターされなかったのである。
(三) (三)のうち、石井医師の説明内容と、超音波断層法による検査をしたところ他の一児の心音も弱くなっていたとの点を否認し、その余は認める。
(四) (四)のうち、原告一郎の現在の状況は不知、その余は認める。
3 4項は否認する。
4 5項は否認する。
5 6項は否認する。
6 7項のうち、被告が原告花子と診療契約を締結したこと及び石井医師が被告の被用者であり、被告の業務の執行として原告花子の診察等を行ったことは認めるが、その余は否認ないし争う。
7 8項は争う。
三 被告の主張
1 原告一郎の脳障害の原因について
(一) 本件では、双胎の胎児間に有意の体重差がないので、本件死亡児は双胎間輸血症候群で死亡したものではない。
また、石井医師は九月三日の時点でドップラーで二児の健在を確認しており、本件死亡児が、九月一〇日の娩出時に死亡から一週間以上経過していたということはない。
さらに、原告一郎は、胎児仮死に陥ったことはない。分娩監視装置のグラフに現われた、原告一郎を娩出する直前の同日午後〇時五八分の徐脈は一過性のもので、その前後のモニターは正常である。同日午後一時二五分には、ドップラーで五秒に一二回の心拍を確認している。また、原告一郎の出生一分後のアプガースコア(新生児の生後一分の状態を示す点数法をいう。)は八で、正常である。したがって、原告一郎の脳障害の原因が分娩時の胎児仮死によるとはいえない。
(二) 双生児の一児が胎内で死亡した場合に生じる生存児の脳障害等の原因については、種々の見解が公表されており、現在統一された学説はない。
原告一郎は一絨毛膜性の双胎の一児で胎盤に血管吻合が認められ、また出生直後に貧血が認められたことから、原告一郎の脳障害の原因の可能性としては、本件死亡児の血圧が死亡直後になくなり生存児(原告一郎)から本件死亡児に血液が移行して、生存児は循環血液量減少性ショックをきたし一過性の脳虚血変化が起きたことが考えられる。
2 原告一郎の脳障害発生の回避可能性について
双胎一児胎内死亡の場合の生存児の脳障害については、現在、その原因も解明されておらず、これを防止するための確立された方法もない。
また、生存児の脳障害の程度についても、必ずしも娩出までの時間の長短に関係しない。一児死亡後直ちに帝王切開をして生存児を娩出しても脳障害が起こる場合があり、逆に相当日数が経過していても障害が起こらない場合もある。
したがって、仮に原告主張のとおりに一児死亡後速やかに他の一児を娩出したとしても、生存児の脳障害を回避することは不可能である。
3 石井医師の注意義務違反について
(一) 本件は、二児に発育不均衡、胎児発育不全がなく、また、八月二七日及び九月三日の診察で、胎児の異常は認められなかったのであるから、双胎というだけでは、早期入院をさせる必要はなかった。早期入院の必要性が指摘されているのは早産の防止のためである。したがって、早期入院させず、外来で母体と胎児の状態を管理をした石井医師の措置は不適切とはいえない。
(二) 多胎児は、満期に出産しても標準より身体が小さい。そのため、少しでも長く胎内で生育させるのが多胎管理の基本である。双生児が胎内で生存している間に、自然分娩を待たずに帝王切開を行って双生児を娩出してしまうべきであるというような医学的見解はない。
(三) 九月三日、、原告花子に対しNSTを行ったところ、当初の約一五分間は、両児の良好な心拍パターンがモニターされたが、その後一児の心拍がモニターされなかった。そこで、石井医師はドップラーを用いて心音を確認したところ、右鼠蹊部やや上方と臍部外側に、それぞれ、良好の心音を聴取し、両児とも異常がないことを確認した。
したがって、石井医師が、NSTを継続しなかったことや、超音波断層法による検査を行わなかったことに落ち度はない。
第四 当裁判所の判断
一 請求の原因1、2項は、当事者間に争いがない。
二 請求の原因3(原告一郎の出産経過)について
当事者間に争いのない事実、《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。
1 原告花子は、二月六日に初めて被告病院の診察を受けたところ、妊娠していて、出産予定日が九月三〇日であることを知らされ、その後定期的に被告病院の石井医師の診察を受けた。
石井医師が、四月一六日以降に行った原告花子の診察内容と診察結果は次のとおりである。
<1> 四月一六日 超音波断層法による診察で双生児と判明。
石井医師は、それぞれの胎児の大横径(頭の幅)の大腿骨の長さを測定して、胎児の大体の大きさを推定し、妊娠週数に応じた順調な発育であることを確認した。しかし、石井医師は、この時点で一卵生双生児の可能性を疑ったが、一絨毛膜性かどうかの判別を意図した診察は行わなかった。
なお、妊娠初期には、超音波断層法により胎嚢の個数を判別することにより、妊娠中期以降は超音波断層像の胎盤及び卵膜の中隔の厚さから、一絨毛膜性ないしその可能性があるかどうかの診断は可能である。
<2> 五月一四日 ドップラーにより二児の児心音を確認。
<3> 六月一一日 超音波断層法により二児の発育状況確認、心拍確認。ドップラーにより、二児の児心音確認。
石井医師は、この時点で、二卵性双生児の可能性を疑った。
<4> 六月一八日 原告花子に対し貧血の薬を処方。
<5> 七月二日 ドップラーにより二児の心音確認。
<6> 七月一六日 超音波断層法により二児の発育状況確認、心拍確認。
石井医師は、この時点で再び一卵性双生児の可能性を疑った。
<7> 七月二一日 糖負荷試験を行ったが、結果に異常なし。
<8> 七月三〇日 超音波断層法により、二児の発育状況を確認、心拍を確認。
<9> 八月一三日 超音波断層法により、二児の発育状況を確認、心拍を確認。
<10> 八月二七日 ドップラーにより二児の心音確認。石井医師は、原告花子に対し、次回診察時にNSTを行う予定であることを説明し、一週間後の来院を指示した。
この時点まで、二児に発育不均衡、発育不良その他の異常は認められなかった。
2 原告花子は、妊娠三六週となった九月三日、前週受診時の石井医師の指示に従い、分娩室において井本助産婦により初めてNSTを受けた。
原告花子は、約四〇分間NSTを受けた。被告病院の装置によると、双生児の場合は、濃淡の二本の波形が一枚のグラフに記録されるようになっているが、右グラフには初めの約一五分間は二児の心拍パターンがとれていたが、その後一児の心拍がモニターされなくなっていた(なお、右グラフは、被告において廃棄処分にしたとして、本訴においては提出されていない。)。
井本助産婦は、右グラフを見て、原告花子に対し、二児の心音の波形がはっきりとれていないので石井医師によく見てもらうように指示した。
原告花子が石井医師に右グラフを見せたところ、石井医師は、右グラフを見ただけで、「まあ、大丈夫でしょう。」と言い、原告花子に対し、一週間後の来院を指示してその日の診察を終えた。
なお、被告は、この時点で、石井医師がドップラーにより児心音の確認をしたと主張しているので判断する。
証人石井康夫は、九月三日にドップラーにより児心音を確認したと証言しており、原告花子の外来カルテの九月三日の欄には、右鼠蹊部やや上方と臍部左外側に心音を確認したことを示す×印の記載が存在する。
しかし、右カルテの九月三日の欄に、NSTにおいて約二五分間にわたり二児の心拍がモニターされなかった事実についての記載はなく、また、体重欄の「五四・一」という数字が横線で消されているなど、その記載の正確性には疑問がある。
また、《証拠略》によれば、双生児の場合、二児の健康に疑義が生じた場合には、超音波断層法による検査により二児の健康を確認するのが一般である事実が認められ、この事実に照らすと、石井医師が、二児の健康の確認のために、ドップラーのみを行い、それよりも確度の高い超音波断層法による検査を行わなかったというのは不自然といわざるを得ない。
そして、原告花子は、本人尋問において、九月三日にドップラーを行った記憶がないと供述している。
そうすると、右カルテの記載及び証人石井康夫の証言をたやすく採用することはできず、他に石井医師がドップラーを行った事実を認めるに足りる証拠はない。
3 原告花子は、一週間後の九月一〇日、再びNSTを受け、前回同様そのグラフを持参して石井医師の診察を受けた。石井医師は、右グラフにより胎児の健在に疑念を抱いたため、ドップラーを用いて診察したが、原告花子の右鼠蹊部付近に一つの児心音しか確認できなかったため、超音波断層法による検査を行ったところ、胎児の一児が死亡していることが判明した。
そのため、原告花子は同日午前一一時五〇分頃被告病院に入院し、腹式帝王切開術により胎児を娩出することになり、NSTで胎児の状態を観察しながら原告太郎の来院を待っていたが、同日午後〇時五八分頃NSTに一過性徐脈が現れたため、原告太郎の到着を待たず、沼口医師の執刀により同日午後一時四〇分頃、二児を娩出させた。
第一児(原告一郎)は、新生児の生後一分の状態を示す点数法であるアプガースコアは八点で正常範囲内であったものの、全身蒼白で、羊水は黄緑色に混濁しており、しばらくの間酸欠状態にさらされていたと思われる状態であった。
第二児(本件死亡児)はすでに胎内で死亡していた。死胎は死後変化を示す指数が浸軟[2]度(浸軟度は、死後変化の程度に応じて[1]度から[3]度まである。浸軟[2]度は、水泡が破れて紅色の真皮が露出する状態をいう。)、羊水は泥状で死後しばらく経過していると思われる状態であった。
沼口医師は、来院した原告太郎に対し、本件死亡児は、死後一週間くらいはたっているであろうという趣旨の説明をした。
4 原告一郎は、被告病院退院時に行ったCT検査の結果、脳障害が疑われたため、退院後も同病院小児科へ通院していたが、平成五年二月からは都立北療育医療センターへ通院している。原告一郎は、周産期の脳性麻痺を原因とする四肢体幹機能障害があり、身体障害程度等級一級と認定されている。
右のとおり認められる。
三 請求の原因4項(原告一郎の脳障害の原因)について
1 本件死亡児の死亡原因について
(一)《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。
(1) 妊娠中子宮内で胎児が死亡する事例は、妊娠一〇か月に最も発生頻度が高い。その原因としては、妊娠中毒症等の母体側の原因、染色体異常、胎盤の異常、臍帯の異常等の胎児ないし付属物側の異常等種々の原因があげられているが、臨床的には原因不明のことも多いとされている。
(2) 双生児のうち、一個の受精卵が発生の初期に二個に分割して、それぞれが胎児として発育する一卵性双生児では、その分割の時期により、絨毛膜分化前に分割した場合は二絨毛膜性双胎となるが、受精後四日ないし八日目に分割した場合は、一絨毛膜性双胎となり形成される胎盤は一つとなる。
一絨毛膜性の双生児の場合は、胎盤に血管吻合を有することが多いため、双胎間輸血症候群の発生等に注意を要するとされている。
(3) 双胎間輸血症候群は一絨毛膜性の双生児において起こるもので、胎盤内の血管吻合により、一方の胎児が供血側、他方が受血側となり、供血側の胎児は発育不良で、貧血、羊水過小症を呈するのに対し、受血側の胎児は発育は良好であるが、多血症で羊水過多症を呈する。
双胎間輸血症候群は、双生児である両児の発育の不均衡が重要な診断基準であり、妊娠中超音波断層法により、胎児の大きさが著しく異なるか、二つの羊膜腔の大きさが異なる等の所見があれば、その発生が疑われるとされている。
(4) 原告一郎と本件死亡児とが一絨毛膜性の一卵性双生児であり、原告一郎らの胎盤は血管吻合を有していた。
しかし、原告花子の妊娠中石井医師が行った超音波断層法による診察では、いずれの時点においても両児の大きさに有意の差は認められず、娩出時の測定においても、原告一郎の体重は二三九〇グラム、本件死亡児は、二二三二グラムであり、その体重にあまり差異が認められなかった。
(二) 以上の事実及び医学的知見をもとに楽件を検討すると、原告一郎の診療録・入院病歴等には傷病名として双胎間輸血症候群との記載があるものの、本件においては、原告一郎と本件死亡児との間に発育の不均衡が認められないことから、双胎間輸血症候群の特徴的症状を呈しておらず、本件死亡児の死亡原因は、双胎間輸血症候群の可能性も考えられるものの、結局確定することはできないといわざるを得ない。
2 本件死亡児に異常が生じた時期について
本件死亡児は、九月一〇日の娩出時点で、浸軟[2]度との判定であったことは、前認定のとおりである。《証拠略》によれば、浸軟速度は一様ではないため、浸軟度により胎児の死亡時期を推定することは不可能とされているが、《証拠略》によれば、本件死亡児の場合はその浸軟度により少なくとも死後三日以上は経過していたことが認められる。
これに、前認定の本件死亡児の羊水等の状況や、九月一〇日に沼口医師が原告太郎に対し本件死亡児が死亡後一週間くらいは経っているであろうという趣旨の話をした事実に照らすと、本件死亡児は死後一週間程度経過していたと推定することは可能である。
そして、九月三日のNSTの途中から一児の心拍がモニターされず、その後二児が正常であることの確認がされていないことに照らすと、本件死亡児は、九月三日の時点で生じていた異常により、同日あるいは同日に近接した時期に死亡したものと推認するのが相当である。
3 原告一郎の脳障害の原因について
(一) 原告一郎と本件死亡児とは、一絨毛膜性の一卵性双生児で、胎盤には血管吻合が認められたことは前認定のとおりである。
《証拠略》によれば、次のとおり認められる。
(1) 一絨毛膜性双胎において、一児が胎内で死亡した場合、生存児に重篤な脳や腎障害が起こる可能性が高いことが知られており、その原因については一説に統一されてはいないが、主として次のような説がとなえられている。
<1> 一絨毛膜性双胎において、一児が胎内で死亡した場合、死亡児のトロンボプラスチンに富んだ血液が、胎盤の血管吻合を介して生存児に移行し、子宮内血管内凝固症候群(DIC)を引き起こし、重症の脳障害等を生じるという説(以下、「第一説」という。)。
<2> 子宮内血管内凝固症候群だけではなく、死亡児からの血栓あるいは何らかの物質が胎盤の血管吻合を通じて生存児にいたり、血管の塞栓を起こすという説(以下、「第二説」という。)。
<3> 血管吻合を有する一絨毛膜性双胎では、一児が死亡すると、死亡児の血圧低下により、急激な血液の流れが生存児側より生存児の脳は虚血により著しい低酸素状態におかれ、胎児脳神経障害が発生するという説(以下、「第三説」という。) 。
<4> 第一説ないし第三説が主張する因子のすべてが複雑に絡み合って生存児脳病変が出現すると考える説(以下、「第四説」という。)。
なお、第四説は、病変の発生には早発型と遅発型があり、早発型は第三説が主張する因子により、遅発型は第一説ないし第二説が主張する因子により脳障害が発生することが多く、早発型は妊娠三〇週以前の未熟児に多いとしている。
(2) 本件のように、一絨毛膜性の一卵性双生児で、胎盤に血管吻合が認められた事例で、一児の胎内死亡後、三日ないし五日後の分娩の場合は、子宮内血管内凝固症候群(DIC)を引き起こし、重症の脳障害が残る可能性が高い。
右のとおり認められ、右認定の事実を覆すべき証拠はない。
(二) 右認定の事実によれば、本件においては、原告一郎は娩出時には妊娠三七週であったのであるから、第四説によれば、その重症の脳障害の可能性として、遅発型の第一説ないし第二説を考えることが可能である。
そして、右認定のとおり、原告一郎は、本件死亡児の死亡後、早くとも三日ないし五日後に至って分娩されたものと推認されるから、これらを総合すると、原告一郎は、遅発型の第一説ないし第二説のいずれかの要因により、重症の脳障害を被ったものと推認するのが相当といわなければならない。
四 請求の原因5項(石井医師の注意義務違反)について
1 石井医師の注意義務について
《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。
双胎妊娠の場合に一児が胎内で死亡する確率については、数パーセントとするものから約一割とするものまで研究例により幅があるが、一絨毛膜性双胎の方が二絨毛膜性双胎の場合より高率に発生している。
そして、一絨毛膜性双胎の場合は胎盤に血管吻合を有することが多いため、一児が死亡するとその影響が血管を通して生存児に及び、生存児に脳障害等が発生する危険性が高い。そのため、胎児が一卵性双生児の場合(《証拠略》によれば、一卵性双生児の約半数は一絨毛膜性であることが認められる。)、担当医師は胎児の状態の確認に特に注意を払うべきことが、原告一郎の出生以前から、各種産婦人科医学専門誌において指摘されていた。また、一卵性双生児の右危険性及び慎重な胎児管理の必要性については、本件当時、一般の臨床医の間においても認識されていた。
石井医師が、本件において一卵性双生児の可能性があるとの認識を有していたことは、前認定のとおりである。
したがって、石井医師としては、原告花子が胎児死亡や脳障害の発生の危険性の高い一絨毛膜性双胎である可能性を常に念頭において、胎児の異常発生を早期に察知するため、通常の妊婦に対するよりも、更に慎重な診察を行うべき注意義務があったというべきである。
2 石井医師の九月三日の診察における注意義務違反の有無につき判断する。
(一) 石井医師は、原告花子につき一絨毛膜性双胎の可能性を念頭におき、胎児の異常の有無につき特に慎重な診察をなすべき注意義務があったことは前説示のとおりである。そして、《証拠略》によれば、子宮内胎児死亡の診断方法としては、ドップラーや超音波断層法等があるが、このうち、超音波断層法が最も信頼性の高い検査方法とされていたことが認められる。
そして、本件においては、九月三日のNSTにおいて、開始後約一五分後からの約二五分間、二児の心拍が十分にとれていなかったのであるから、右胎児に異常が生じたことを大いに疑わせるものであったというべきである。
したがって、石井医師としては、このNSTの結果を知った時点で、二児に異常が発生していないか確認するため、胎児の生死鑑別方法として最も信頼性の高い超音波断層法による検査を行い、その後も継続的に胎児の経過を観察すべき注意義務があったというべきである。
(二) しかるに、石井医師が何らの検査をしなかったことは前認定のとおりであり、この点に石井医師の注意義務違反が認められるというべきである。
仮に、被告の主張するように、石井医師が右の時点でドップラーを行っていたとしても、なぜ、より信頼性の高い超音波断層法による検査をしなかったか疑問の残るところであり、この点においても石井医師に注意義務違反が認められるというべきである。
五 請求の原因5項(結果回避可能性)について
《証拠略》によれば、一絨毛膜性双胎で一児が胎内で死亡した場合の措置として、少なくとも妊娠三三、三四週以降であれば、生存児をできるだけ速やかに娩出すべきであることはほぼ定説となっていることが認められる。
九月三日の時点で、本件死亡児は生存していたものの、何らかの異常の状態にあったことは、以上認定判断したとおりである。
そうすると、以上認定判断したところによれば、石井医師が、同日、NSTに異常の認められた時点で、超音波断層法による検査を行い、その後も経過観察を継続するなどの適切な措置を執っていれば、本件死亡児に異常が生じていることを発見するとともに、原告一郎を速やかに娩出するなどの措置を執ることによって、少なくとも原告一郎の脳障害の発生結果を回避できた可能性は高かったものと判断することができる。
以上を要するに、石井医師の九月三日の原告花子に対する診療行為には、医師としての注意義務を尽くさなかった過失があり、これと原告花子の子である原告一郎が被った障害との間には因果関係があるものというべきである。
五 請求の原因7項のうち、石井医師が被告の被用者であり、被告の業務の執行として原告花子の診察等を行った事実は当事者間に争いがない。
したがって、被告は、原告らに対し、民法七一五条に基づき、石井医師の過失により生じた損害を賠償する責任を負う。
六 原告らの損害について
1 原告一郎の損害 合計九四四五万四八四九円
(一) 逸失利益 四一〇七万九八四九円
原告一郎は、脳性麻痺を原因とする肢体幹機能障害があり、身体障害程度等級一級と認定されているから、労働能力喪失率は一〇〇パーセントとみるのが相当である。
原告一郎は、本件医療事故がなければ、一八歳から六七歳に達するまでの間、少なくとも賃金センサス平成四年第一巻第一表の産業計・男子労働者学歴計・全年齢平均年収金五四四万一四〇〇円を得られたと認めるのが相当である。右金額を基準にライプニッツ方式により中間利息を控除して算定すると、原告一郎の逸失利益は次のとおりになる。
五四四万一四〇〇円×七・五四九五(一九・二三九-一一・六八九五)=四一〇七万九八四九円
(二) 介護費用 二七三七万五〇〇〇円
原告一郎は脳性麻痺を原因とする四肢体幹機能障害があり、身体障害程度等級一級と認定されており、《証拠略》によれば、歩行不能で車椅子を使用し、食事・排泄等常時日常生活における介護が必要であることが認められる。一日の介護費用を五〇〇〇円とし、介護期間を六〇年間として、ライプニッツ方式により中間利息を控除して計算すると、原告一郎の介護費用は次のとおりとなる。
五〇〇〇円×三六五×一八・九二九二=三四五四万五七九〇円
したがって、少なくとも、原告が主張する金額である二七三七万五〇〇〇円の介護費用が必要と認められる。
(三) 慰謝料 一八〇〇万円
本件医療事故による原告一郎の障害の程度、石井医師の注意義務違反の態様、その他本件に顕れた一切の事情を勘案すれば、本件医療事故による原告一郎の精神的損害を慰謝するには、一八〇〇万円をもって相当と判断される。
(四) 弁護士費用 八〇〇万円
本件訴訟の難易度、認容額、その他本件において認められる諸般の事情に鑑みると、本件医療事故と相当因果関係にある弁護士費用相当の損害は、八〇〇万円と認めるのが相当である。
2 原告太郎、原告花子の各損害 各合計二二〇万円
(一) 慰謝料 各二〇〇万円
原告一郎が本件医療事故により脳障害を負ったことにより原告太郎、原告花子が多大の精神的苦痛を受けたことは容易に推認され、本件に顕れた一切の事情を勘案すれば、右原告らの精神的損害を慰謝するには、各二〇〇万円をもって相当とする。
(二) 弁護士費用 各二〇万円
本件医療事故と相当因果関係にある弁護士費用相当の損害は、各二〇万円と認めるのが相当である。
七 結論
以上によれば、原告らの被告に対する本訴請求は、原告一郎につき九四四五万四八四九円、原告太郎、原告花子につき各二二〇万円及びこれらに対する訴状送達の翌日である平成六年四月一四日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、その余はいずれも失当であるから棄却し、仮執行の宣言につき民事訴訟法二五九条一項を適用し、仮執行免脱宣言については、これを付さないこととして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 坂本慶一 裁判官 田中寿生 裁判官 松井 修)